SHOCK脱落

6日夜の公演を観た。負け組確定。悲しい・・・。


この日は凄く良い席だった。1ケタ列サブセンターのセンター寄り。角度はあったけれども、前に遮るものが無く、近くも遠くも良く観えた。光一のビジュも、確かに痩せてはいたけれどもやつれ果てた感じでは無く、動きのキレも悪くなかった。前髪も切っていた為、美しいお顔が良く見えた。太鼓も出来が良かったし、はしごの技は全く危なげなくキマっていた。それなのに・・・。


この回を最後として、こんな気持ちのまま今年のSHOCK観劇を終えるのは大変残念だ。でも、もう無理だと悟った。私はもう今年のSHOCKには全く相応しくない客になってしまった。残りの公演は今年のSHOCKを心から楽しめる方々に託して、私は次のお楽しみが現れるまで隠居するしかない。ああ、悲しい。




★★★以下は、やさぐれた敗者の長弁。蓋をしていたモヤモヤが発酵して、とてつもない毒と酷いクダ巻きになった。SHOCK好きには決してオススメしない。




MASK以来光一の舞台を何十回と観続けていて、こんな気持ちになったのは初めてだ。自分自身ショックで仕方が無い。渾身の演技をしている光一を目の前に、気が付けば、帰宅後何食べようと冷蔵庫の中身を思い浮かべてたり、さっき友に打った下らないメール内容を反芻してたりする私なんて・・・(汗)。


演技が白熱すればする程、私の気持ちはしらじらと冷めて来る。見せ場でもワクワクしない。次の場面をちっとも楽しみに思わない。感動しない・・・。 こんな筈は無い、集中しよう、と思えば思う程焦りが生まれ、イライラしてくる。粗ばっかりに注目が行き、退屈なもんだからどんどん意地悪な目線になってくる。以前は流し見してたところにも、チクチクと文句を言いたくなってくる。


なんでこんなんなっちゃったのかなあ・・・本当に悲しいわ。SHOCKと言えば、その為に半年間チケ取りに命を懸けてもいいくらいだったのに。そうして得たチケットはピカピカの宝物で、一回一回を定価の数倍払ってもいいくらいの気分で観ていた。当時は友達と「5列目までのセンターブロは定価一枚10万にすれば競争率下がって取り安くなるのに」とか本気で希望してたもんだ。


私、もし来年も今年と大して変わらない内容だったら、観るのはもうひと月に1回で十分だな・・・。信じられない。Endless以前のSHOCKでは3日も空けると麻薬が切れたかのように禁断症状が出て、行かない日もその事ばかり考えて、いっそ帝劇に住み込みたいとさえ思っていた私が。



こうなってしまった理由の多くは1/13のエントリで大まかに書いたけど、その後回を重ねパンフも読んだ今、だいぶハッキリしてしまった事がある。今私がSHOCKを観てて、何が一番辛いかって・・・受け付けないかって・・・・・。
これは、これを言ったらもうダメじゃんって感じなんだけど、正直に言うけど、その『物語の内容とメッセージ性』なんだな。 ハハ・・・光一が一番思い入れて、これこそ伝えたいと思ってる事じゃん・・・(乾笑)。だから私も大変辛いし悲しいんだけど、でもダメ。これこそが一番受け付けないし、かなりウンザリするし、正直ヒく(汗)部分なんだ。告白するけど、パンフ読んで、本当にゲンナリしたんだよ、私・・・(涙)。


Endless以前のSHOCKでは、ストーリーは確かにハチャメチャだったけど、それは豪華なショーとスペクタクルの場つなぎとしての比重しか感じ無かったし、荒唐無稽なだけにスッパリ非現実話と思えて、辻褄とかどうでも良かった。後から鼻歌歌いたくなるような楽しいメロディが至るところに溢れてて、合間のギャグとか本当に楽しくて、真似したくなるような濃いネタやヲタツボが満載で、いつの間にか中毒になるものだった。


Endless SHOCKになってからは、辻褄とメッセージ優先で、その分荒唐無稽なスペクタクルやショーは削られ、全体的に渋くシンプルになっていった。もう、これからして、私には圧倒的に寂しい現実だ。あんなに楽しかったショーやワクワクするスペクタクルを削って、光一が訴えたいものっていうのが、このただ暗くて寂しくて悲しくなるような、しかも分かりにくいモヤモヤばかりが残るメッセージなのかと思うと・・・。


「人は何故走り続けるのか」とかどうでもいいし興味無いし、理解したいとも思わないって前回も書いたけど、そういうのが気になって嫌になってくると、「後ろを振り返る」とか「周りが見えなければ良いものは出来ない」とか「ボロボロになる、その分だけ輝ける」とか「成長したな」とか、そういったコウイチ名言である筈のものさえもが癇に障るようになってくる。「どうでもいい」というスルー対象から、「ウザイ」というストレス要因になってしまう。



私は堪え性が無い上に頭が悪いので、謎かけや推理小説の犯人探しとかを自分で考えるのが嫌いだ。早く答えを言ってくれ!とイライラする。今回のSHOCKではそういう謎かけにも似た問いかけ、「人は何故走り続けるのか」がテーマになっているけど、その内容や問いかける意義は、どうにも私には伝わらない。「だから何?」ってまま中途半端に終わり、「そんなどうでもいい事の為にお楽しみを削られた」と感じてしまう。「答えなんて無いのかも知れないな」って言うならば、そんなにモヤモヤばっかり訴えかけないで、自分の中で収めてくれよ!と思う。光一はそれを観客にそれぞれ考えて欲しいんだろうけど、そんなの自分には付き合えない。


「光一の伝えたい事」。それを、あーでもない、こーでもないと考えるだけでウンザリする。光一すらハッキリ言えない事を、なんでこっちが考えてやらなならんのだと思う。私は光一の全てを崇拝している訳では無い。勘弁してくれよと思う部分も大いにある。痺れた頭にボンヤリ浮かぶのは、光一の満足げな笑顔。。。


ここでまた告白をしよう。今期の観劇で大萎えした点を2つ書く。まあ、これはほぼ私の悪く考えすぎによるものなんだけど。


ひとつは、最後の観劇で観た光一の涙のようなもの。クライマックスの大階段最上段で、昇天した光一が涙をいっぱい浮かべて目の中に大きな星が4つくらいゆらゆらと輝いて、嬉しそうに天を仰いで歌い上げていた姿。本当に泣いていたかは分からない。でも私には、感情移入して涙が瞳いっぱいになってウルウルと溢れそうになっているように見えた。 
とても気持ち良さそうなその姿を見て、それ以前に冷めた目線から観てしまっていた私としては・・・。とても酷い事を言うけど、正直「ええ??こんなひとりよがりなお話に自己陶酔して泣いてるの??」と。一気にサム〜い気分に・・・。ここのシーンはどうも宗教じみた絵面だな〜と前から思っていたけど、それがますますそれクサく見えてしまって。


そもそも私は、これは特殊だと思うんだけど、観客の殆どが感動して見入ると思われる「夜の海」にすら、感動した事が無いのだ。これこそが見せ場だと言う熱い意見をよく耳にするのだけど、私にとってこの曲はまあ普通に流して見る程度のものでしかない。どうしても「月夜」とか「幻炎」とかと比べちゃって、そっちの方がよっぽどいいのにって思ってしまう。「ここでコウイチが最後の命の炎を燃やし尽くすのに!」とか言われれば言われる程、目が遠くなる。ここだけでも、感じるべき大きな見せ場の一つを私は失ってるんだろう。


もうひとつ萎えたのは、前月の12日だか17日だかに聞いた挨拶。「こんなに再演できるのは、何よりの評価」「何度でも再演してやるつもり」と、自負と抱負を語った事。これは、このSHOCKで感動した方々にはこの上なく嬉しい言葉だったと思う。だけど私はこれを聞いた途端に、心の中で「ああ・・・」と心底落胆のため息をついたんだ。「これに自信持っちゃったよ・・・」って。


その後、パンフや雑誌でも、「Endlessになってから更に評価が高まった」「大変更した時に批判されると思ったけど、そういう声が全く無かった」と言ってるのを読んで、光一の中では圧倒的に以前の物よりEndlessの方が、一般的にもヲタ的にも評価が高いという認識になっているんだなと。「毎回変更すれば良いというものではない。少しずつ良くする事によって完成度が上がる」というのを読んで、またガッカリ。
ならばもう今後も一切、私の希望するようなスペクタクルや豪華ショーは増えず、どんどん暗くてモヤモヤするメッセージと陰気な芝居と微妙な生歌とシブい芸中心になっていくんだなと。ジャニジャニしたアイドルちっくなショータイムなんて言語道断。“本格派”の一般的エンタメ目指すと。


・・・つまらない。ああ、つまらない。もう全然ワクワクしない。ウキウキしない。私にとっては、“ジャニ”だからこそ、“アイドル”がやっているからこそ価値が上がる。ショボい素人芸の“本格派”とか程、鼻白むものは無い。







・・・あ〜あ、随分毒吐いたな〜。こんだけ吐けば、心の隅に残る未練をやっとスッキリ断ち切れるんだろうか。


ここまでさんざんクサしといて今更何だけれど、今回私が全然萌えない最大の原因は分かってるんだ。ハッキリ言って、回数観すぎなんだよ(苦笑)。2005年から一体何十回目だ? 飽きるわ、そりゃ。


確かに、去年一昨年までは私も、車マジックもラダーも太鼓も殺陣も、ごく普通に楽しんでたし、時には息を呑んで見入ってたもんだ。始めた当初よりも芸の完成度は上がってるから、Endless初見の方々が口を揃えて凄いショーだったと言うのは当然だ。光一はリピーターの為に舞台を作っているわけでは無い。むしろ、ヲタでもなく初めて見た一般のお客さんを感動させる舞台を目指しているんだろう。だから、私みたいな者がはじかれていくのは当然の流れなんだ・・・。


それでもあえて、私は負け惜しみを言いたい。しつこいリピーターや濃くてうるさいヲタが付かなくなった舞台って、行く末寂しいよ・・・と。まあ、私と同じような感想を持った人は少数派だろうし、別の意味でうるさいヲタは今年も厳然とSHOCKに喰らい付いているので、な〜んの心配も無いと却下されるんだろうけど。


でも今年のチケット相場のいつにない下落を見ると、今年のSHOCKに何らかの不満があったり、回数減らした人が、少なくとも例年より多いんだな〜とは思う。まあこれも、だからと言って、即日完売&連日満員御礼な事には変わり無いし、これで十分成立する限りは問題にならない。でも、ネットに溢れる混沌とした劇評と比べて、チケット相場は数字による誰の目にも分かりやすい指標なので、それによって関係者が多少考えてくれればいいなあと祈るばかりだ。




それにつけても、今年つくづく思ったのは、何だかんだ言ってもジャニーは偉大だったという事。そりゃあさすがに古臭いし軽薄だし奇妙キテレツだけど、ヲタ萌えな夢だけは満載だった。「YOUは龍と戦えばカッコイイヨ!」とか「王子様は白いバラ持っちゃいなヨ!」とか、そういうワクワクするような思いつきを次々と実現してくれた。これは、ジャニーが演じる側では無く、プロデュースする側であると共に、自タレの一番のヲタだからなんだと思う。


やっぱりどうしても私は、光一のセルフプロデュースだけだと満足しきれないらしい。それは、mirrorコンの頃からジワジワと身に染みてきてたんだけど。光一自身が表現したい光一やコウイチだけでは満足できない。光一を見て感じる心と表現力のある第三者のプロが、光一にこんな事を表現させたいと思って提供するものが見たい。聴きたい。
それは、光一自身が気付かなかったり、自分ではなかなかうまく言えなかったりする事を、ヲタ向けに分かりやすく引き出してくれるものだと思うから。ヲタが思う「こんな光一が見たい!」という希望を叶えてくれる、そんなものを、今とっても見たい。