ベルギー象徴派展

評価:★★★★☆

Bunkamuraザ・ミュージアムにて。美大同級生の友と。
私が大昔ハマった、ある傾向の少女漫画作家達の、インスピレーションの源流はここなんだろう。
多感な少女時代に感じた憧れと陶酔の記憶が湧き上がって、過去の世界へ引き戻されそうになった。
萩尾望都竹宮恵子山岸涼子、大矢ちき、一条ゆかり・・・その他、今思い出せないけど、1970〜1980年代に私が触れた多くの漫画家や小説家がコッチ系だった。天野義孝とか金子義国も完璧コッチだろうな。森川久美の描く顔なんてクノップフそのものだもんな。


展示は、19世紀当時の象徴派作家「20人会」のメンバー全員の作品が展示されていたが、やはり一番圧巻はクノップフ。(クノップフonly展だったらきっと五つ星評価。)溜息が出る程の美しき幻想世界に、神秘性と暗示の奥行き。イコノロジー(図像解釈学)を駆使して読み解くか、受け取った霊感を何かに吐き出さないと気が済まない気持ちになる。こうして当時の絵画と文学、オペラ等も影響し合って、この特殊な潮流が盛り上がったんだろうな。


展示会のチラシにあった説明文が素晴らしかったので、忘備用に引用しておく。

「ベルギー象徴派展」展覧会チラシより引用:

19世紀末のベルギー。そこではそれまでになかった新しい傾向の美術が人々の心を捉えていた。その画家たちの関心は、目を閉じたときの闇の奥に隠された真実にあった。彼らは印象派のように目に飛び込んできた情報をストレートに送り出すのではなく、象(かたち)が直接的に表すものよりも、それによって暗示的に間接的に徴(しる)されるものに辿り着こうとした。彼らは象徴派と呼ばれた。
メジャーではない、排斥されたすべてのもの――。キリストや聖書よりも悪魔や聖書外典社交界の優雅さよりもオカルトの儀式、太陽神アポロよりも酒の神ディオニソスや眠りの神ヒュプノス、そして活気付く都会よりも誰もいない森、豊満な若い女性よりも青ざめた死に顔の美しさこそが、表現すべきものであった。そして青空の下での観察よりは、部屋にこもっての夢想が出発点だった。また当時の新興国ベルギーには、こうした新しい美術の傾向を積極的に受け入れる開かれた気運が溢れていた。
象徴派が描き出した逃避的で幻想的な世界。その背景には、人類がはじめて経験する産業化のなかで進行した人間疎外があると言われている。それはまた、慌しい現代社会に生きる私たちがふと訪れてみたくなるような、そしてどっぷりと浸ってみたくなるような、不思議な魅力を持った世界なのである。

忘れかけていたデカダンスの甘い誘惑にうっとり・・・。「ヴェニスに死す」やシャーロット・ランプリングの「愛の嵐」が観たくなるなんて、ちょっと健康的な精神状態と言えないよな(汗)。しかしまだ大丈夫、私はマトモよと思う事がある。私が唯一、これらの退廃的耽美作品の気に入らない点。それは、物語の結末がおしなべて、救いが無いアン・ハッピーエンドである事。幻想に耽り背徳に酔う、アブナい世界は大好きだけど、たくさん遊んだ後は、現実に戻って幸せになってくれないと。どんなに美しくても後味の悪い話はツライのよね・・・。まぁ私は「シャレ」の範囲で、自分が楽しい部分だけ楽しむ事にするよ。


暗示に満ちたこの流派らしく、ミュージアムショップには多くの関連文献が出ていて、本の題名を読むだけでもワクワクした。
この世界を読む事にかけては第一人者らしい、澁澤龍彦氏の著作の題名→「天使から怪物まで」「悪魔の中世」「城――夢想と現実のモニュメント」「エロスの解剖」「暗黒のメルヘン」・・・etc.  手始めに「幻想の画廊から」を購入。利倉隆氏の「エロスの美術と物語」も買った。同シリーズ「天使の美術と物語」「悪魔の美術と物語」もその内チェキろう。