レオノール・フィニ展

評価:★★★★★

Bunkamuraザ・ミュージアムにて。美大同級生の友と。
いんや〜良かった!ここまで良いと思って無かった。いくつかの作品は写真で観ていたけど、そ〜んなにはツボとは感じず、しかし説明文にそそられ、一応観てみるか程度の軽い気持ちで行ったのに、ここまで良いとは、嬉しい誤算。


レオノール・フィニについては、どこかで見覚えはあったものの、詳しくは殆ど知らなかった。私以上にハマった友の調べによると彼女に関する文献もそんなに出てないみたいだし、作品は彼女のアトリエ(コルシカ島の廃墟だった僧院を改装したもの)にごっそり集められているみたいだし、何か本人の意向でもあるんだろうか?
Bunkamuraザ・ミュージアムHPには、下記のようにある。

『絵を描き、空間を遊び、舞台を演出し、自身をもプロデュースしたパリ社交界のカリスマ、レオノール・フィニ(1907−1996)。エキゾチックな美貌と強烈な魅力をもつフィニは、パリで女性シュルレアリスム画家として鮮烈なデビューを果たし、バタイユやエルンストら、ときの詩人や芸術家と親交を結びながら、絵画、書物の挿絵、オペラ座で舞台装置、バレエや映画の衣装、小道具、はては宝石のデザインまで、さまざまな分野においてその多彩な才能を発揮しました。』

派閥に属することを拒み続けた彼女は、独自の審美眼でエロスと夢幻の世界を神秘的に優雅に描いた。年齢も明かさず、自身がデザインをした衣装や仮面に身を包み、謎めいたカリスマとして夜な夜なパリの舞踏会に現れたというフィニ。その隠喩や示唆に満ちた作品にも、決して自分で説明を加える事は無かったという。幼年期の父親の脅威や、男の子の格好をして育てられたという数奇な経験、数々の血筋の混じる家系など、もう物心ついた時から彼女は、孤高である事が当たり前だったのかも知れないな。作品抜きにしても、女性ながらにこの意志の強さと美意識の高さ、潔さは、それだけで圧倒される。


作品大枠での雰囲気は、前回同じBunkamuraにおける「ベルギー象徴派展」で観た、世紀末の象徴派達のシュールで耽美な流れを受け継いでるかな。それに現代性とファッション性を加味した感じ。
絵画で驚いたのはとにかく原画!原画の威力が半端ない。大胆な構図とフォルムに、幾重にも色を重ね技法を駆使した、繊細な色彩と質感、優美で細密な描写。女性の透き通るような太ももの肌の美しさや、絹のドレスの真珠のようにまろやかな光沢は、どんな近くで見ても技法の仕掛けが見えず、どこまでも神秘的。最新流行のドレスをまとった美しい貴婦人の足元は、動物の頭蓋骨がころがり異形の虫這うような荒野・・・しかし、その荒野が何故か、うっとりする程美しい! その荒野の上に広がる暗い曇天が、見とれてしまう程の、何かわからないけれど陶酔的にロマンチックな色彩と奥行きがある。
彼女の絵は、肌質から背景の空、草むらに至るまで、全てが極上のテキスタイルデザインのよう。ちょっとお洒落心のある女性なら誰もが思うだろう、こんな布のドレスがあったら、こんな模様のベッドカバーがあったら、また壁紙があったら、どんなに素敵だろうって。


とりわけ彼女の色彩の美しさには脱帽。透き通る肌に燃えるような赤毛の対比、鮮やかな若葉色や深いグリーンに涼しい青みのピンクの対比、それを引き締める深くまろやかな茶が、どこまでもハイセンス。それは、芸術家にしか分からないような気取った難解なものではなく、同じ女性として、即座に共感できるようなコマーシャルな魅力に溢れてる。


これは・・・参考にさせて貰おう・・・!!・・・と、私も友と盛り上がったけど、それプラス盛り上がったのがまたしても、共通して尊敬する少女漫画家達への影響検証(笑)。先のベルギー象徴派展でも、さんざんこの点で盛り上がったけれど、今回は個人展なのでより狭く見る事ができた。
一番強く感じたのは、私達の最もリスペクトする漫画家の一人、萩尾望都大先生。特に「メッシュ」の頃を知っている人なら誰もが分かると思う。顔が、このくるんとした瞳が、まんまだよ! 所どころ骸骨な美形の男性や、清潔感のある女性の表情は、そのもの。怪しい仮面で正体を隠した男のグロテスクな不気味さは、うわ〜、「残酷な神が支配する」のグレッグじゃん!(汗)
広げた着物を背景にして無国籍オリエンタルな女性が座っている東洋的な版画からは、「日出処の天子」の頃の山岸涼子の扉絵が浮かんできた。彼女らが実際にフィニを見て影響受けているかは分からないけど、少なくとも彼女の居た流れの影響をいくらかでも受けているという事は、間違い無いと思う。

その影響を、更に大先生の漫画によって強く影響受けた私達にとっては、そのルーツを感じられた気がして、大変興奮した。



フィニの描く人物は殆どが女性で、女性から見た女性の崇高な美しさが強烈な印象を残す。男には絶対に描けないだろうと思う、女性の視点ならではの魅力。彼女の作品の中では、男は殆ど登場しないか、しても意味の薄い象徴的なものだったりする。漠然とした想像でしかないけど、もしかしてフィニって、自分と女性を愛する種族系だったのかな・・・


少数ながら置いてあった仮面にもゾクゾクした。さすが無類の猫好きだけあって、猫の仮面がやっぱり一番のインパクト。こんな仮面を付けて夜な夜なパリの「舞踏会に行っていたのか・・・凄いわ〜。極めてるわ〜(汗)。


ああ・・・やっぱり図録買うんだったかなぁ・・・。いつもの重くてドでかい図録だと完全に諦めるんだけど、今回はA5位だったかな?かなり小ぶりでお手軽だったんだ。でも、家で本を読めない気質の私が本を買う基準が、「簡単に持ち歩ける事」なので、そうすると微妙にアウトだったんだよな〜。もっと抜粋した手軽な物が他にあるかも?と思ったし。(でも無かった・・・) あと、大問題だったのが印刷技術の限界。フィニのこんだけ繊細な色彩を、安価な印刷で再現するのはどだい無理。図録の絵と原画では全く別物なんだもの!今まで印刷物を目にしても心惹かれなかった理由が分かった。ホント別物。フィニは原画を見ずに語る事なかれ。ミュージアムショップで売っていた、イタリアだかフランス印刷の物は、さすがかなりの高レベルだった。このレベルの図録があったら即買いなんだけどな〜・・・ でも版画や線画もあったし、それ目的でも買う価値あるか。 まぁ、次回の「ギュスターヴ・モロー展」も絶対観ると決めてるから、今回の図録はこの時見て、また判断しよう。


本といえば、フィニは、ポー、サド、ボードレールランボー、ジュネなどの著作の挿画も手がけていたとか。その挿絵付きではないが、いつか読もうと思っていた、当時の耽美文芸代表作、ボードレールの「悪の華」とジャン・ジュネの「泥棒日記」の文庫本を買った。モロー展までにさわりだけでも読みたい。
そういえば、前回買ったこの道の美術評論の大家、澁澤龍彦大先生の「幻想の回廊から」は、今回フィニ展を観るに当たっても、なかなか役に立った。この世界は特に美術が文芸や時代潮流と密接に関わってるから、掘り下げればキリが無いなぁ。それもまた楽しいけど。