七月大歌舞伎 7/30昼(前楽)

評価:☆★★★★

1年2ヶ月ぶりの歌舞伎観劇を母と。今回は玉三郎海老蔵の絵のような美ジュコラボに惹かれて、昼夜とも連日でチケ獲得。去年の前方花道脇とほぼ正反対の、前方上手寄り席。程良い近さだけど、舞台の奥行きはやはり見えず。本日夜の部は2階席なんで、奥行き感は今日だな。




■一部:夜叉ヶ池

今回は監修に徹したという玉三郎の美学と拘りが、隅々まで行き渡った秀作だった。
池の主・白雪姫と鐘楼守の妻・百合という美女2役は、市川春猿。彼は玉三郎にとてつもなく傾倒してるか、玉三郎がとことん目をかけて弟子並みに教え込んでいるとしか考えられない。所作から発声から間合いから、全てにおいて、玉三郎至芸へのリスペクトが感じられる。これは喜ばしい事だ。こんなに素晴らしいカリスマが居るんだから、次世代花形女形の発展の為に、どんどん芸を継承していって欲しい。


話の展開は、きっと泉鏡花の原作をかなり忠実に再現したんだろうなと思われる、美文調の長台詞や掛け合いによるものが多い。舞台を見ながらも、ふと本を読んでいる時の、言葉の響きや表現を丹念に味わっているような感覚になる。
切なく悲しい修羅場を過ぎての、一気に次元を超えるかのような結末が、大変すがすがしい。あんなに悲しい運命だった2人も村人も、洪水の後には皆魚やたにしに生まれ変わって、自由になった白雪姫の湖で楽しそうに泳いでるなんて、なんて素敵な大団円だろう。玉三郎がここまで拘る鏡花の原作を、一度読まなきゃなあ。




■二部:海神別荘

真打ち登場。海老蔵が海底の公子。そこに輿入れする美女が玉三郎。チラシの寄り添う2人の写真があまりに素晴らしくて、一番楽しみにしていた。
・・・観劇後、母とマシンガンで話し合った命題は主に2つ。一つは、玉三郎の至芸とカリスマ性について。もう一つ、大盛り上がりしたのが、海老ちゃんの微笑ましい天然ボケおぼっちゃん芸(笑)の今後について。


天性が研磨された稀代の芸術品と、切り出したまんまの未知数な素材。これはもう芸としては比べる次元ではない。と言っても海老ちゃんも28歳か・・・(汗)いやいや、大器晩成と言うじゃないか。何と言っても、ビジュ釣り合い的にここまで揃うのは、今の歌舞伎界を見回してみても無い事だ。もうそれだけで、エビちゃんの存在意義は十分なわけで。色んなたどたどしい所とかアチャチャ?(笑)なところは、今後の精進に期待するとするよ。
エビちゃんには、不思議と憎めない魅力がある。時に失笑もこみ上げつつ(笑)温かく見守りたいような。おぼっちゃん特有の無邪気さとかまっすぐさとか。何より類稀れな容姿と美声がある。問題は、これをどう磨いて使いこなせるようになるかだ。小手先器用なホドホド役者よりもよっぽどいい。こういう存在も必要だよな。アイドルなんだねえ。


この演目は、今回初演なのかな? これは歌舞伎というより、歌舞伎テイストの新劇だな。昔玉三郎が「王女メディア」とか「黒蜥蜴」とかガンガン新劇の新作発表してた頃の意気込みを彷彿とさせた。いや、きっと彼の創作意欲はずっと継続して色んな作品を生み出していたんだろうけど、私が少し離れていたから。


玉三郎みたいに、幽玄・異世界・神秘の美女をここまで演じきれる人は、一体今後出てくるんだろうか。花道のカーテンがしゃっと開いて登場した時に一変する、場内の空気ときたら。本当に、神が、天女が降りてきたかのような。彼から場内いっぱいに放たれる、神々しく光り輝くオーラを受けると、有難くて拝みたくなる。きっと寿命延びたと思う。
一部で観て感心した春猿女形芸の、本家本元はここにあり。やはりもう次元が違う。これも比べるべきものでも無いんだけども。 雲の上を滑るような歩き方。どの瞬間も美しい座り方。惚れ惚れするような裾さばき。この上なく上品で可愛らしい杯のあおり方・・・etc. 人間技では無い、この世のものでは無いような域に居るのが、玉三郎なんだろうと思う。 


演出も凝っていた。まさか大歌舞伎の中で、バックスクリーンの映像演出が観れるとは。公子と美女の衣装は絶品。椅子や柱などの調度や小物も拘りが。リュウグウノツカイみたいな竜が、綺麗で愛嬌があって本当に生きてるみたい。それを操る濃紺装束の家来達(何て言ったかなあ・・・カッコイイ呼び名があった)が、デキる僕べっぽくて素敵。美女が竜に乗って家来達に導かれて深海まで来る途中、ほのかにゆらぎながらうっとりと声が響くところは、本当に美しい海の中みたいだった。


これは是非とも上演を重ねて、全体としての完成度と魂注入を期待したい。エビちゃん頑張れ!(笑)






今夜はこれから千秋楽。図書之助でエビちゃん再び。楽しみ(笑)。